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2026.05.22
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心地よい春の季節は短く、ボチボチ「熱中症」のニュースが入る季節になりました。
前回お約束しましたように、今回からは、私が弊社の「古民家ツアー」の勉強会でお話ししてきた内容の要点を、数回に亘って順を追ってお話ししてみたいと思います。

まず初めに、皆さんは1950年(昭和25年)に制定された、膨大な条文の「建築基準法」のことをどのくらいご存じでしょうか?
人口の増加や戦争の空襲等の影響で、大戦直後には日本全国で最大340万戸の住宅が不足し、家なき国民があふれていた時代に、少なくとも「そこそこの住宅を」「早く」「大量に」全国に建設する必要から、それまでの大工の生業生産方式を改め護送船団方式で国を挙げて「産業化」する・・??、
そのためには日本全国で統一された「建築ルール」がどうしても必要になったことから、「建築基準法」なるものが制定されたものと思われます。
また当然、近代国家への時代の要請もあったものと思います。
その冒頭第1条に書いてある条文をご存じでしょうか?
「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする」とあります。本来国民は、自分の建造物は自由に造れる権利を有しているべきという観点から、建築基準法の諸規定は最低限の基準にしかなっておらず、決して生命や健康・財産の十分な満足する保護にはなっていないと認識していただきたいということです。
決して「建築基準法をクリヤーしているから最高の建造物」ではないということです。

また、日本は世界一の地震災害国ですので、毎年のように全国で大きな地震災害が起こっていますが、被害が大きかった大地震災害の度に「耐震基準」も大きく見直されてきました。中でも一番大きな見直しは、昭和53年の「宮城県沖地震」(M7.4、死者28人、負傷者11,000人、家屋全半壊7,400棟、全被害13万棟以上)で、それまでは耐震基準も極めて緩く耐震技術も未熟で、せいぜい当時の震度5程度まで持てば良いというレベルでしたので、昭和56年5月にいわゆる「新耐震基準」(基礎・壁量規定の見直し、当時の震度6~7程度までは倒壊しない)という大きな改正がありましたが、法律的な拘束力が乏しくその後も危険な建物は多く存在しました。

そして平成7年の「阪神淡路大震災」の後は、それまでの0~7までの「8段階」の「震度階級」のうちの震度5と震度6が、それぞれ新しく「弱・強」に分けられて「10階級」表示になり、更にそれまでは体感や被害状況からの判断で発表されていた震度が、きちんとした震度計による「計測震度」発表に変り精度が格段に上がりました。
更にはこの大震災後も「地盤調査義務・壁配置バランス・指定接合金物使用等」が義務付けになったり、またこの大災害を機会に、消費者が安心して安全な新築住宅を購入・建築できるように、新しく「品確法」(住宅の品質確保の促進等に関する法律)という「消費者保護法」(①工務店・不動産事業者に対して新築の重要構造部分に、引渡し後10年間の瑕疵担保責任の義務付け、②全国共通の「住宅性能表示制度」の創設、③トラブル時の住宅紛争処理専門機関の設立)も整備されました。
その後の「東日本大震災」「熊本地震」「能登半島地震」と大地震が発生する度ごとに、専門家が調査と反省・分析を繰り返しながら「耐震に対する考え方」を柔軟に変え、より安全で被害の少ない建築物の構築に励んでおられます。

また、平成17年には、建設業界を震撼させた「耐震偽装事件」(一級建築士の構造計算書偽装事件)が発覚し、「建築確認申請の厳格化」「建築士の社会的責任」「罰則の強化」など、建設業界・設計事務所業界の制度(しくみ)や専門資格者の社会的モラルが国を挙げて大改革されました。
我々昭和人間にとっては、当時片方ではどんどん「規制緩和」が叫ばれ、制度・しくみのシンプル化が実践されつつあった中で、この事件を境にあらゆる事柄がどんどん厳格化され複雑化され、時代の流れに完全に逆行してきているように思えてなりません。
今回は、ちょっと真面目な勉強会の流れに終始してしまい、楽しくない固いお話しになってしまって申し訳なく思います。
次回はもう少し皆さんが関心を寄せていただけるようなお話が出来ればと思います。最後までお読みいただき有難うございました。
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